どんなに重い吃りの人でも、何人かで声を合わせて読めば普通に読めます。吃りは言葉の障害ではなく、話せなくしている”何か”のために起こります。吃りから変容するには、この”何か”を自覚し体験することです。自覚し体験できれば人間の体が持っている自然な治癒力が働いて、話すときに起こる不必要な吃の反応が抑えられ、いつの間にか普通に話せるようになります。
 この”何か”を自覚するのを知的に行う、知識として理解する、或いは頭で分かっただけでは自然な治癒力は発揮されません。「心から」「体ごと」の自覚、体験が必要になります。これをカウンセリングによって得ようとするのが、この廣瀬カウンセリング教室です。

(故)廣瀬先生からのメッセージ

廣瀬努先生 2009/01/10 言友会会館にて撮影

 私が吃音者とカウンセリングの場を持つようになったのは、もう25年も前のことですが、当時は「吃音者とは、言葉の障害だ」と考えていたので、吃音を矯正するには、話すことの不安や劣等感を解消したり、流暢に話す訓練をしなければならないと考えておりました。
 しかし、吃音者とのカウンセリングを積み重ねるにつれ、吃音を「言葉の障害」ととらえるよりも、「話せなくするなにか」を考えるほうが、より正しいことに気づきました。
 もし、吃音が「言葉の障害」だとしたら、いつでも、どこでも、そして誰に対しても言葉の流暢さを欠いてしまいますよね。ところが、どんなに重症の吃音者でも、独り事を言ったり何人かで声を合わせて朗読する時には、まことに流暢に言葉を発することができるのです。
 例えば、「と」という言葉が苦手の方は、東京までの乗車券を買おうとしても「東京まで」と言えずに「横浜まで」と言ってしまうこともありますが、そんな時でも、誰も居ないトイレなどで「東京まで」と言ってみると、まことにすらすらと言えるのです。
 皆さんにも、教科書の朗読に備えて何度も練習したのに、肝心な場面で失敗した経験があるとおもいますが、一人で練習したときには流暢に読めたのですから、決して読めなかったり話せないのではないのです。
 ここに上げたのはほんの一例ですが、25年間の吃音者とのカウンセリングを詳細に分析してみますと、吃音を「言葉の障害だ」と考えるよりも、「話せなくするなにか」を明らかにし、これを解消することが吃音矯正の本質だと思うのです。
 廣瀬カウンセリング教室は、「話せなくするなにか」を吃音者とカウンセラーの共同学習の中で明らかにし、そうすることによって、吃音者自らが持つ自然な治癒力を十分に機能させて、吃音を克服しようとするカウンセリングの場です。
 すでにご存じのことでしょうが、生まれつきの吃音者はおりませんし、どんなに重症の吃音者でも、話すための器官や機能に障害などはないのです。ただ問題は、人前で話そうとしたり重要な用件を伝えようとした時に限って横隔膜や舌・唇などの器官に異常な反応が起こり、これが原因で言葉が乱れてしまうことです。

 廣瀬カウンセリングで、吃音者から正音者への変容を果たした多くの方々は、「どうして治ったかはわからないが、いつの間にか呼吸や舌に異常な反応が起こらなくなって、すらすらと話せるようになった」と言いますが、これが目的を果たした方々の実感です。
 どうか、「あたりまえのことが、あたりまえにできる自分を実現する」ために、廣瀬カウンセリングの門をたたいてみませんか。

廣瀬先生のプロフィール

昭和11年5月18日生まれ
昭和33年 北海道学芸大学函館分校修了 函館少年刑務所 法務教官を拝命
昭和49年 受刑者を対象とした吃音矯正教室を開設
昭和57年 日本精神衛生連盟会長表彰(吃音に対する支援)
昭和58年 市民を対象とする吃音矯正教室を開設(昭和58年函館 同62年札幌 平成4年東京 同8年大阪)
平成5年 東京都吃音者講習会講師
平成9年 北海道社会教育委員連絡協議会表彰 函館少年刑務所教育専門官を定年退職 スタマー(吃音者)カウンセリング教室主催
平成10年 北海道立江差高等看護学院 非常勤講師 北海道公立学校スクールカウンセラー
平成12年 東京理科大学(学生相談室専門委員)カウンセラー
平成14年 教育実践表彰(北海道教育庁檜山教育局長)
平成17年 函館家庭生活カウンセラー養成運営委員(監査 講師) 函館市 男女協同参画課 運営委員会委員長
平成26年 4月21日 77歳で逝去

北海道公立学校スクールカウンセラー
東京理科大学カウンセラー(学生相談室専門委員)
北海道立江差高等看護学院 非常勤講師(カウンセリング理論と技術)
スタマーカウンセリング教室 (東京 札幌 函館の各教室)

主な著書

「吃音からの脱出」 黎明書房
「どもりは必ず治る」八重岳書房
「教える教育の敗北」日本評論社

インタビュー

20週年記念誌にて 聞き手 栃木修了生Iさん。協力 カウンセラーKさん。

廣瀬先生は教師になりたかった

I:まずカウンセラーになられたきっかけを教えて下さい。カウンセラーになることが先生の夢だったのですか?
先生:そうではありません。カウンセラーという言葉すら知りませんでした。
K:先生は実は教師になりたかったのですよね?
I:そんな雰囲気ですね。
先生:でも、なれませんでした。当時は景気が悪くて、大学を卒業したばかりの我々は就職できる時代じゃなかったから。
K:厳しい時代だったのですね。
先生:もし教師になっていたら、校長になることばかり考えているような、鼻持ちならない先生になっていたかも知れません。
I:そうしたら、私たち吃音者と関わることもなかったかも知れませんね。それで、カウンセラーになられたのですか?
先生:函館少年刑務所に法務教官として勤務していたのです。少年刑務所といっても、成人と少年を収容する施設でした。そこで、成人には生活指導を、少年には教科教育を主に実施しながら、共に社会への復帰を目的に様々な取り組みをしていました。このような日常的な課程にカウンセリングがあったのです。
I:もともとはカウンセラーではなかったのですね。
先生:カウンセラーという立場ではなく、法務教官としての仕事の中にカウンセリングが含まれていたことになります。そのような受刑者との関わりの中で、吃音で日常生活にも困難を抱えた受刑者が収容されていることを知ったのです。早速、話を聞いてみると、吃音が原因で罪を犯してしまったことを知りました。吃音が原因で刑務所に収容された受刑者を、何の働きかけもせずに社会復帰させても、彼の更正を実現することは不可能だと思ったのです。そこで、吃音を抱える受刑者を対象に「話し方教室」を開設することにしました。

私はカウンセリングしか知りませんから
I:それから吃音受刑者を対象としたカウンセリングが始まったのですね。
先生:ええ、私はカウンセリングしか知りませんから。他のことで吃音と関わろうと思っても出来ませんので、カウンセリングで関わるしかないと思ってスタートしたのですよ。
I:その頃、吃音の原因は何だとお考えでしたか?
先生:話すことに対する怖れや劣等感などが、吃音の原因になっていると捉えていました。だから、そのような精神的なものをカウンセリングによって解消しようと考えたのです。
I:開設当初、カウンセリングは順調でしたか?
先生:そうとは言えません。カウンセリングが始まったのはいいけど、受刑者たちは、人前で絶対に話しをしないし、吃音を隠そうとする人ばかりでしたから。しかし、カウンセリングを重ねていくうちに、人影に隠れて話していた人が、少しずつ話すようになって、行動面においても積極性が見られるようになりました。ところが、吃音症状はまったく変わらなかったのです。これではいけないと思い、吃音に絞ったカウンセリングが必要だと考え始めたのです。

何が言葉を乱す原因なのか、吃音者自身に気付いてほしい

I:すぐ吃音の改善方法が見つかったわけではなかったのですね。
先生:吃音者はみんな「恥ずかしい。どもりたくない。何とかごまかしても喋りたい」そんな気持ちが強いと思うのです。いくらそんな気持ちがあっても、吃音は改善されません。大切なことは、何が言葉を乱す原因になっているのか、その時にどんな反応が身体で起こっているのかを、吃音者自身が気付かなければダメだと思ったのです。それが内臓感覚的刺激とその反応を完全に自覚することに繋がっていったのです。
I:自覚というのはすごく大事なことなのですね。「美を求める心」(小林 秀雄著)や「春の日冬の日」(岡潔著)を教材にしている理由も、自覚に関係してのことですか?
先生:そうですね。自覚することを吃音者自身に気付いて欲しいのですが、何を手掛かりにしたらいいかと探している時にたどり着いたものが「美を求める心」だったのです。美しいものを美しいと感じる心と、自分自身を自覚する心の働きは同じだということに気付き、文章を読んで湧き上がったことを話し合ってみよう、というところから始めたのです。学習を重ねるうちに、「美を求める心」だけではなく幅広く関連付けられるものがあった方が、勉強しやすいのではと思って、「春の日冬の日」も教材にしました。

記憶や知識の中から答えを探しても、感じたことにはならない

I:その当時、ご苦労されたことは何ですか?
先生:「感じる」ということが出来ない人が大半でしたね。この文章を読んでどんなイメージが湧きましたか?と質問しても、「一つの問いに一つの答え」を中心とする学校教育しか体験したことがないから、どうしても、今まで学習したことや教えられたことの中から答えを探しているようでした。それに勝手な解釈をつけて、あたかも自分が感じたことのように話すのですが、これらはすべて感じたことではなく、借り物の知識なわけです。だから、自然な治癒力が機能することはないのです。
I:自然治癒力が機能すると、どんなことが起こるのですか?
先生:例えば、私たちが怪我をしたときには、「どこに不都合が起こっているのか」を脳に知らせる回路があって、知らせを受けた脳からは、自然な治癒力を担当する中枢と、痛みを伝える中枢に命令が出されます。これらの命令を受けて自然な治癒力が機能し始め、私たちは痛みとして、「どこに、どのような不都合が起こったのか」を知ることができるのです。これは、人間がこの世に誕生した時から備わっている生来的な働きですが、「話す」などという後天的に獲得した機能には、このような回路は備わっていません。ですから、吃音者自身が、どのような刺激を受けた時に、どこに異常な反応が起こって吃音症状が現れるのかを実感して、それを脳に伝えて自然治癒力を機能させなければならないのです。

自然治癒力にたどり着きました

I:先生は初めから自然治癒力という身体の働きが、吃音改善には有効だとご存知だったのですか?
先生:知りませんでした。でも、少年刑務所でのカウンセリングの時に、強い吸気反応が起こったり、目をパチパチさせたり、手や足に汗をかいたり、異常な反応が起こっていることに気付いたのです。そこから大脳生理学や心理学などの学習をやり直して、自然治癒力にたどり着きました。このように、吃音に関することはすべて、吃音者と共に学び、そして教えられたことなのです。私にできることは、教えられたことに付加価値を付けてお返しをする。そして、一人一人が自ら変容する場を提供することですから、これからも、「前頭葉に直接働きかける場」を提供し続けたいと思っています。
I:そういう経緯から、現在のカウンセリング手法が確立されたのですね。

吃音者が私の先生です

I:カウンセラーとして心掛けていることはありますか?
先生:それは、吃音者が私の先生だということです。私は吃音の経験がありませんから、吃音者から学ぶことが多いのです。私から見たら皆さんが先生なのです。私が権威者になって、吃音のことは任せてくれと思うようになったら、カウンセラーを辞めなければいけませんね。
I:修了生を対象にカウンセリング勉強会が始まりました。修了生のサブカウンセラーぶりはどうですか?
先生:頑張っておられます。ただ、「主体的に、そして、責任を持って考え(勘)感じ、経験する・・・」ということがチョット弱いように思っています。
I:厳しいお言葉ですね。
先生:吃音を乗り越えた修了生だからこそ、現役生に与える影響は大きいと思うのです。それに吃音のことは自らの実体験で学習済みなのですから、もっと自分らしさを発揮して欲しいのです。そうしなければ、現役生の願いや思いも感じることはできないと思います。現役生の話は心して聞き、そこから湧き上がったことを感じたままにお話しする、それが大切なのです。
I:勉強になります。私も修了生の一人として頑張ります。

皆さんの変容していく姿を見ることが本当に嬉しいのです。

I:カウンセラーとしての喜びは何ですか?
先生:それは、毎月の教室で皆さんとお会いして、いろいろと話し合う場を持てることです。そのような何気ない場の積み重ねから、皆さんが変容して行く姿が見えてくるのです。それは吃音が治ったということだけではなく、人間としての素晴らしい成長にまで立ち会えるのですから、これほど嬉しいことはありません。東京教室がこのような喜びの場であったから、二十年という長い間、教室に通い続けることができたのだと思います。
I:先生から見ると、具体的にどのような変容が見られるのですか?
先生:そうですね。教室に来たばかりの頃は、できるだけ私から離れた場所に座り、カウンセリングでも一言も話さなかった方が、次第に私の席に近づき、目を輝かせて、感じたことを話し出す。そんな姿に接した時には、私の中に言葉では表現できないほどの、大きな感動が湧き上がるのです。
I:じゃあ、私もそうでしたか?他の人の変容の様子はよく分かるのですが、自分のことは分からないものですね。ところで先生の卒業の基準は何ですか?
先生:吃音が改善したことよりも、自分で仕上げをする力が備わったかどうかです。いくら言葉の流暢さが良くなっても、自らが仕上げをするだけの力が備わっていなかったら、もう少し勉強してもらおうと思うこともあります。

人間としての成長があって

I:卒業後の話をお聞きしたいのですが、修了生にはどのような人になってもらいたいですか?
先生:私が願っているのは、「自分を好きになって欲しい」ということです。自分を好きな人は、自分も他人も大切にするものです。しかし、自分が嫌いな人は、自分も他人も粗末にしてしまいます。自分が嫌いなままでは、他人を大切にすることはできないと思うのです。だから、そういう人になってもらいたいですね。
I:教室では吃音に関することを学習していますが、人間として成長する場でもありますよね?
先生:吃音を持つ自分から、吃音を持たない自分へと変容するためには、自分自身が変わる必要があると思っています。吃音者である自分を偽って、正音者を真似て失敗を繰り返す自分や、吃音から逃れることを考えながら、「言葉だけ何とかならないか」と願っても、それは不可能だと思うのです。私たちが生まれながらに備わっていた、素晴らしい機能や能力を発揮できるようになって、はじめて吃音の改善も可能になるのです。

私の教室の根幹とは

I:そこが不思議なところですよね。人間の成長と吃音の改善は無関係のような気もするのですが。
先生:生まれつきの吃音者なんておられません。みんな同じように言葉を話す機能や能力を持って誕生したのに、何らかの理由でそれが発揮できずにいるのです。生まれながらに持っている素晴らしい機能や能力を発揮できないのは、やはり人間として成長発展する過程で、大きなマイナスになってしまいます。それだけに、本来持っている機能や能力を発揮する営みこそが、人間としての成長発展を可能にするのです。このような場を提供し続けること、これが私の教室の根幹といえるのだと思います。

思い煩うことがなくなった

I:では、日常生活での楽しみは何ですか?
先生:そうですね。毎日が楽しいのですが、特に挙げるとすれば、思い煩うことがなくなったということですね。
I:それはどういうことですか?
先生:つまり自由になれたということです。以前は「今日は教室で何をやろう」とか「失敗したらどうしよう」などと、頭でごちゃごちゃと考えることが多かったのですが、今はそれがなくなりました。聞かれたことに対して、湧き上がったことを素直にお話しできるようになりました。
I:お身体の具合はどうですか?
先生:体調面に不安はありますが、体調のことを気にして生活していたら楽しくないですよ。そういう意味でも、思い煩わなくなりました。今でも以前のように海外旅行をしたいと思っています。本を読みながら、「今度はどこに行ってみようか」と考えています。
I:一日でも早く回復されて、ご旅行できるといいですね。

短期間で猛勉強をして、大学に合格できました

K:余談ですが、先生は高校卒業後、社会人野球で就職が決まっていたのですよね?
I:先生、野球はどうしちゃったのですか?
先生:高校の卒業式が終わって何日か過ぎた日に、友達の家に遊びに行ったのです。そうしたら、友人のお母さんが出てこられて、「うちの子は大学を目指して勉強しているから、誘いに来ないで下さい」と言われたのです。仕方なく野原で寝転がっていたら、みんなが勉強しているに「自分だけ野球を職業とすることを決めて、暢気に過ごしていても良いのだろうか」という思いが湧き上がってきて、どうしても大学へ行きたくなってしまったのです。すぐ学校へ行って、担任の先生に「大学を受験したいのですが、今から入学試験に間に合う大学はあるだろうか?」と相談したら、「教育大学なら間に合うけど、お前の実力が間に合わない・・・」と言われたのです。
I:じゃあ、それから短期間で猛勉強して見事合格されたのですね。
先生:試験まで一月半も無かったけど、必死に頑張ったら合格する事が出来ました。

廣瀬先生、お忙しい中いろいろなお話を聞かせて頂いて、ありがとうございました。Kさん、ご協力ありがとうございました。(M・I)