当教室の現役生や修了生の体験談です。

東京教室20週年記念誌からの抜粋です。

修了生 栃木 Fさん。

<自分が見えたとき>
廣瀬カウンセリング東京教室二十周年、誠におめでとうございます。
開始当時から教室を運営されてきた先輩の皆さん、研修生の皆さん、現役生の皆さん、ご努力お疲れ様です。そして二十周年式典のご準備を進めてこられたスタッフの皆さんに感謝をします。ここ数年は仕事の都合で教室には研修生として参加できない自分ですが、最近感じたことを原稿に書かせていただきます。
 二〇一二年上期の教室を拝見するなかで、ある現役生の方が知人に自分の吃音のことを聞いてみたら、気にならないとの話で前向きな行動ができるようになったと話しておられて、変容の早さに驚いております。その現役生のご家族や友人の方は考え方もしっかりされ、第三者の方の意見を尊重されるお人柄のすばらしい方に囲まれたのだと思います。自分が現役生の頃は家族や友人に吃音のことを聞く勇気もなければ、聞いてもすぐには前向きになるような行動は取れなかったです。
当時は教室でテキストを読まされるのが嫌で、参加するのも大変でした。蛇に睨まれた蛙のような感じで、吃音という怪物に全身を魔物に取り付かれて話す事に怯えていたようです。自分なのに自分で無いのである。だから周りも見えず、話すことができないから人の話も聞けない。会話を聞いていても、その話題に入って行こうとしても、どもるからという考えからタイミングを逃してしまい、自分だけが蚊帳の外に置かれていたのです。
 自分が現役生の頃、先生のお話の中でグループカウンセリングだから自分だけが改善しようと思っても成果は上がらない。皆さんと一緒に変容し意欲を持たなければ、吃音は軽減しないと何回か聞かせて頂いたのですが、自分ではどのようにしてよいか分からない時期が多くありました。
 教室に参加し二年目の頃、自宅を出るとき何故か今日は嫌な気分にならない、上野駅周辺のバイク店を見てから教室に参加する余裕。そして教室が始まり感じたことは自分の吃音はどうでも良い、自分より困っている方に支援をしたいと考えるようになり、それまでは先生のお話を聞き逃すことの無いように、先生の席のそばに座っていたのも譲り、発言時間も少なくし、多くの方にたくさん話していただく様に行動を取れるようになったのです。自分に余裕ができたのか自分自身が見えてきたのです。以前はどもりという恐怖に怯え、自分を見失い慌てているだけだったが、その頃から話している自分が見えているのである。どもった時もどのようにしてつまずいているのか、急いでいるのか、良い自分を見せようとしているのかが、何となく分かるのです。ですから、その後の対応もできるようになってきたのだと思います。
 それからの自分は話すときに吃音による予期不安が少しずつ少なくなってきたように思え、話す時もどもっているのだと思うが、余り気にならなくなっていたのです。これが変容であり、前向きに行動する転機になったと思います。
教室の進め方も徐々に変わり、現在希望する方は先生の講座を受け、カウンセラーとして学習をされ、現役生の皆さんにたくさん支援をされていられるのもすばらしいと思います。このような環境のもと、現役生皆さんのこれからの活躍を応援したいです。

現役生 東京Yさん

私は、高校まではあまり吃音を意識せず育ってきました。吃ることや言葉を言い換えることはありましたが、生活に支障はさほどなかったと記憶しています。
しかし、大学に入学し、就職活動の面接を意識し出してから、急に吃音がひどくなりました。そこで、吃音の対策をインターネットで検索し、廣瀬カウンセリングを見つけました。
最初は、教室でやっていることが理解出来なかったですが、徐々に先生がやろうとしていることが分かってきました。教室に来て良かったと思うことはたくさんありますが、一つは、自分がいかに吃音を言い訳にしているかに気づいたことです。教室に来る前は、普段の生活や意識を顧みず、できないことは吃音のせいにしていました。教室が、吃音以前の自分の甘さを見直す良い転機になりました。
また、廣瀬教室に来ていなかったら、自分の吃音の症状についてあまり把握できていなかったと思います。電話で吃る相手と吃らない相手がいたり、人前で話すときも、状況によって吃音の反応が違うといった事を冷静に感じられるようになったのは、教室のおかげです。自分の吃音を見つめるという意味で、カウンセリングという場は非常に貴重だと感じています。このような場を、二十年間開き続けてきた先生や運営の方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは、先生をはじめとした教室の関係者への感謝の気持ちを忘れずに、自分なりに先生や教室に恩返しをしていければと思います。今後ともよろしくお願い致します。

修了生 東京Aさん

<吃音の三つの山そして感謝>
小学校三年生のクラス替えで初めての自己紹介。名前が言えなかった。それが、私の吃音人生のスタートかもしれません。
国語の時間、順番にまわってくる教科書朗読。待っている間の心臓のドキドキ。汗びっしょり。自分の書いた作文をみんなの前で読んで発表。言えない言葉は全て言い換えたので、ぐちゃぐちゃ。日直の時、起立・礼・着席の号令。礼の「レ」が出ないから、みんな立ちっぱなし。毎週水曜日五時間目を早退して、ことばの教室へ。自分にはどうしても合わなくて、反抗的な態度をとり続け、全く効果なし。
小学校の卒業式のよびかけ。これが私の吃音にとって最初の大きな山。今でも思い出したくもない。でも、バカみたいに鮮明に覚えている。あの場面、あの静寂感。みんなが一人ずつ言うセリフを、私だけ友達に助けてもらってようやく言える。校長先生が「よく言えたよ」と言ってくれたが、当時の私には屈辱以外のなにものでもなかった。でも、友達の視線はとても温かかった。ありがたかった。
中学高校短大と、要領がよくなったせいか、なんとなく過ごしてきたものの、第二の山=就職活動。今と違ってバブリーな時代。特に短大卒の女子なんて、超有名企業からもひっぱりだこ。みんな次々と決まっていく中、ひとりポツン。申し込みの電話ができない、面接でうまくしゃべれない。最後にようやく決まった会社に、今でも勤めています。会社名が言えない、電話がかけられない、人前で発表できない・・・。色々ありましたが、勤続二十五年。ありがたいことです。
そして、二十六歳の時、言友会そして廣瀬カウンセリングとの出会い。私の吃音にとって三番目の大きな山。ここで吃音に対する考えが方向転換しました。とてもいい方向に。廣瀬先生、先輩・仲間たちにありがとうです。
これからも、第四・第五の山が訪れるかもしれません。それが楽しいものでも、苦しいものでも、これまで通り、「ありがとう」という「感謝」の気持ちだけは忘れずにいきたい。これが、吃音を通して私が得たもっとも大きな宝だと思います。
そして、二十周年を迎えた廣瀬カウンセリング東京教室に関わったすべての皆様へ。改めて、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

修了生 Sさん

<私の変容>
廣瀬先生、東京教室の皆様、二十周年おめでとうございます。東京教室三代目代表を務めておりました、Sです。三代目というのはちょうど十年前の十周年の頃の代表でして、あれから十年が経過した現在も教室が開催され続け、そして今回も無事二十周年の節目を迎えるということで、非常にうれしく思っています。
今、改めて教室で頑張っていた時期を振り返ってみますと、ずいぶん取りつかれたかのようにがむしゃらに行動していたように思います。
国会図書館に行き廣瀬先生関連書類をすべて入手し暗記するぐらい何度も読み、ロジャースのカウンセリング関連書籍を買い漁り片っ端から読み、岡潔さんのほぼすべての書籍を入手し何度も繰り返し読みました。先生の基本的立場の文章なんて、何も見ないで言えたと思います。
多分に知識偏重の面があり、褒められた行為ではないかもしれません。吃音矯正上は間違い、遠回りだったのかもしれません。自分のクラス以外の全クラスを見学し、全クラス録音して聞き直し、第三日曜の復習会もほぼ皆勤賞で参加していました。
おまけに教室と並行して、言語聴覚士の先生がいる病院に月一回の言語訓練にも通っていました。真面目・一生懸命といえば聞こえはいいですが、吃音矯正に囚われていたというほうが正しいかもしれません。ただ、それだけ必死でした。治りたかったです。吃症状を改善したかった。
そんな自分が今では吃音をほとんど意識しなくなりました。「吃るかも」などの考えが頭をよぎること自体まずありません。元々吃症状は決して軽いほうではなく、今でも程度の大小はともかく、多分、毎日吃りは出ていると思います。
実際吃症状がどの程度出ているか正直分かりません。分かろうともしていません。でも、それでいいです。たとえ吃ったとしても、それはただ言葉に詰まっただけのことです。これが今の私の偽るざる心境です。
私は保育園のころから吃り続け、自分が流暢に喋っている姿を想像することすらできず、治るなんてありえないことで考えもしませんでした。そんな自分がここまで来たんです。吃症状が消えるまでは改善していないかもしれませんが、もう十分です。吃音で悩んでいたことが懐かしくさえ思います。
昔は心理面の変容ばかりいう先輩に噛みついていました。心理面の改善・変容は大事だが、治るというのはあくまで症状面の改善と考えていました。今でもその考えを否定はしませんし、理想はそうあるべきだと今でも思います。ただ、私はちょっとは改善したんで、もう満足です。
職場環境や業務内容が変わり、また吃音を意識する状態に戻り、悩んでしまうかもしれません。全く逆のことを言いだすかもしれません。でも、それはそうなってから悩みます。今のところ順調なんで、これで満足です。
一度教室から遠ざかってしまうと顔を出しにくいものですが、早く教室に復帰して、微力ながら教室へ恩返しをしたいと思っています。ただ、私にとって一番吃音を意識する場面は教室です。今も昔も教室が一番吃る場所であり、多分教室では思いっきり吃ると思いますが「全然変わっていないだろ」って苛めないでくださいね。

修了生Sさん

廣瀬カウンセリング二十周年おめでとうございます。私は四十歳のころに教室に入会し、一年五ヶ月通わせていただきました。また、卒業後も不定期に顔を出させていただき、いろいろと悩みを相談させていただきました。私が吃音に悩み始めたのは社会人になってからです。それまでも吃音の症状はあったのかもしれませんが、自分自身で悩むことはほとんどありませんでした。ところが、社会人になって今まで以上に言葉を意識するようになると、それまでは何の苦労もなく話せていた言葉まで話せなくなってしまいました。そこで、吃音矯正のためいろいろな施設を回りましたが、何の効果もなく、本当につらい思いをしていたところ廣瀬カウンセリングを知ることができました。現役生が主体的に運営する廣瀬カウンセリングは、一方通行的な他の吃音矯正所と異なり新鮮でした。なんとなく楽な気持ちにもなりました。それから教室の後のお酒も楽しみでした。吃音を避けたい、逃げたいと思っても向うから追っかけてきます。結局は自分が変容する必要があるということですよね。ここ数年、教室にはご無沙汰しておりましたが、この度、二十周年記念式典のご連絡を頂戴し、本当にうれしく思います。廣瀬先生のご健康と、教室に関係するすべての皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。十月六日を楽しみにしております。

修了生 Aさん

<自分を信じる> 
 廣瀬カウンセリング東京教室二十周年、誠におめでとうございます。そして二十年間、ご指導いただきました廣瀬先生に心より御礼申し上げます。
 思えば、初めて参加した懇親会が十周年のパーティーだったので、教室でお世話になり十年の時が流れました。この十年を振り返って様々なことが思い起こされますが、今いちばん強く感じていることは、自分を信じられるようになったことです。言葉に囚われて、自分の感情を押し殺し、人の評価の中で生きようとしてきた自分は、とても息苦しく辛いものでした。廣瀬先生のグループカウンセリングは、押し殺してきた感情を呼び覚まし、意欲を湧き上がらせ、自分をごまかさず、自分を信じる力を回復させてくれるものでした。電話や自己紹介から逃げ回っていた私が、進んで電話をかけ、朗読の会を主催し、結婚式のスピーチや、お話を頼まれるようになりました。自分に嘘をつかなくなったこと、それこそが自分を信じられるようになった証だと思っています。
 廣瀬先生、教室の皆さん、十年間大変お世話になりました。今後とも一生のお付き合いで、よろしくお願い申し上げます。

修了生 Kさん

廣瀬教室に参加したのは、約十年前でした。当時は、社会人になったばかりでしたが、吃音のおかげで将来に対して恐怖しかありませんでした。心の病気と思い精神病院にも通院してみました。しかしながら努力の甲斐なく、心だけが不安定になっていく日々を送っていました。
そんなとき廣瀬教室に出会いました。最初に教室のドアを開ける時は、本当に緊張しました。何がまっているのか全く分からなかったからです。怪しい集会?とも思っていました。
しかし開けてみて驚きました。そこにいたのは、普通の人たちが座って話しているだけでした。本当に吃音で悩んでいるのか?一目では、まるでわかりませんでした。しかし話してみると、それぞれが吃音に対して悩みがあり、歴史があり、思いがあることを知ることが出来ました。また共通の悩みを持った人が他にもいる事にとても驚きました。
言いにくい言葉はなにか?とか、名前が言いづらいとか、昔は言えていたのに!とか吃音に対して初めて人と共感することもできました。とても嬉しかったのを覚えています。
最後になりますが、教室に通うようになり吃音のメカニズムについて知ることができました。以前は原因がわからず、日々一人で悩んできた日々でしたが、今は解消されたと思います。今では二児のパパとして家庭に仕事に勤しんでいます。廣瀬先生及び教室の皆様には、本当に感謝しています。ありがとうございました。そして二十周年おめでとうございます。

修了生 Nさん

<廣瀬カウンセリング教室に学んで>
私がこの教室にお世話になったのは、十周年の翌年二〇〇三年の六月でした。長男が成人式を迎え、息子もいずれ結婚するのだろう・・・。その時、新郎の父としてスピーチをしなければならないと思い、わらをもつかむ思いでこの教室に参加したのを思い出します。
廣瀬先生をはじめ、沢山のOBと沢山の現役生には色々なことを教わりました。本当にありがとうございます。吃音のことはもちろん、人として如何に生きるべきか、人として何が大切なことなのか、色々考えさせられることも有りました。
吃音に関することで、印象に残っていることは、OBのSさんが「どもるのが楽しい」と言われたことです。この言葉は私がまだ現役生の時に聞いたので、何を言っているのだろう?どもることが楽しい訳がない!何を言っているんだ、このオヤジはと正直そう思いました。その頃はまだこの言葉の意味も解らず本当にそう思ったものでした。
教室は二年で修了して、暫くしてからこの言葉の意味を理解出来るようになりました。どもりはどもらなければ治らない!と言った方がいましたが、これと同様でどもることにより、内臓感覚的刺激とその反応を自覚し、それにより自然な治癒力が働き、どもりが治っていくのです。こうしてどもりが治っていくからどもることが楽しい、ということだと思います。
言葉の意味は理解出来るようになりましたが、まだまだ未熟なので私自身、心の底からどもることが楽しいとはまだ思えません。まだまだ気付かされることも沢山あるので、教室にはお世話になりたいと思います。そして微力ながら一人でも多くの吃音者の力に成ることが出来れば幸いです。これからもお世話になりますので、皆さんよろしくお願い致します。
二十周年、本当におめでとうございます。そして三十周年をめざして皆でこのすばらしい教室を支えて行きましょう!

修了生 Nさん

二十周年おめでとうございます。
私は十五周年記念式典にも参加させて頂いたのですが、その時は現役生でした。二十周年の現在は晴れて修了生となり、教室の運営をお手伝いさせて頂いております。
十五周年から二十周年の間で一番印象に残っているのは、二〇一一年の先生の手術と東日本大震災です。まず二月に廣瀬先生が心臓の大手術を受けられて、教室は二月・三月と先生不在の状態となりました。そして三月十一日には巨大地震が発生。余震に怯える不安な日々の中で、こんな状態ではとても教室は開催できないかもしれないと思いました。しかし廣瀬先生は驚異の回復を遂げられて再びカウンセラーとして私達の前に現れてくださったので、何と開催を危ぶまれていた四月の教室が無事に出来たのです。私は四月教室での先生の姿を見た瞬間、それまでの不安が一掃されたのを感じたとともに、先生が私達を思うそのお気持ちの大きさに愕然としました。
教室に通い始めた当初は周りの事など何も見えず、ただどもりを治してもらう事しか考えられませんでした。しかししばらくして周囲の修了生の方々が現役生をサポートしてくださっている事に気付き、何より廣瀬先生が、自らの力でどもりを克服できるようにと現役生を導いてくださっている、その真剣さに気付いて驚きました。教室の皆さんと廣瀬先生のおかげで、私も周囲の事が少しずつ見えるようになっていったように思います。
修了生となって、今度は私が現役生をサポートできればと思い毎月教室に足を運んでおります。今の廣瀬カウンセリング教室には十代から七十代まで、幅広い世代の方々が吃音を改善すべく現役生として頑張っておられます。その方達を少しでもサポートできたら大変嬉しいです。これからも修了生として教室に通うつもりですので、どうぞ宜しくお願い致します。

修了生 Cさん

<二十周年記念によせて>
まず、二十周年を迎えられたことについて、廣瀬先生にお礼をお伝えしたいです。体調など、ご自分の状況よりも教室を気にかけてくださる先生の存在は、とても大きいものだと思います。
そして、(サブカウンセラー・OBも含め)一緒に教室でがんばっている皆さんにも感謝です。皆さんの姿に励まされ、気づきのヒントを頂き、そして楽しく教室に参加できています。
さて、私が廣瀬カウンセリング教室に通いはじめたのは、今からおよそ四年前です。
当時の私は、就職してから吃音がひどくなり、話すことが中心という仕事をしていく上でかなり行き詰まっていました。今まで「この場面では私は吃らない」と思っていた場面でも吃るようになり、口を開けば必ず吃るような気がして仕方がなく、外に出ると他人の話の内容よりも話し方が気になっていました。言葉が話せなくなったら、堂々と話さないでいられる、なんて事まで考えていました。
話し方を訓練する事には違和感を覚えていましたが、ではどうしたらいいのか分からず非常に悩んでいました。その頃、母が廣瀬先生の著書を見つけ、それをご縁として廣瀬カウンセリング、またそこに参加する方々と出会う事ができました。
初めて教室に参加して、参加している皆さんがとても楽しそうにしている事に驚きました。当時の私は、吃音がなければどんなに楽しく過ごせるかと考えていたからでしょう。
教室に通っていて、自分の中でまず変わってきたのは、「この場面では吃らないのに、何で吃るんだろう、おかしいな」という思いでした。「自分は常に刺激を受けているのだから、今まで吃らなかった場面でも吃る可能性があるかもしれない。」と思うようになってからは、今までなら真っ白になっていた場面でも、それほどパニックにならずにすみ、自分の吃音を「外側から見る」ように気をつけるようになりました。そうこうするうちに、「吃るよりも、何か原因があって話せないほうがまし。」という思いは消え、「何かをつかんだら、自分は変わるかも」という思いになってきていました。
あれから約四年、「修了生」という形にはなりましたが、本当に理解していない部分も多いですし、まだまだ道半ばという気持ちが強いです。以前、OBの方達から聞いたように「吃るのは自分を守るため」「吃りと敵対しない」ということは今もできていません。けれど、以前のように話すのが恐ろしいとも思いませんし、「吃ったらおしまいだ」みたいな気持ちはありません。それだけで、少し気持ちが楽になるのです。
吃音は、話すことだけに気をつければ治るとは限らず、自分自身が変わっていく中で吃音も変化があると思います。私も、皆さんから刺激を受けて自分自身を変えていけたらと思います。これからもよろしくお願いします!