教室内で発刊されている「カウンセリングだより」です。
2016年7月号 第47期
だより編集にあたって Kさん 20代女性 臨床心理士
この度、A代表から「だより」の編集を引き継ぎました。昨年の11月から廣瀬カウンセリングや言友会の活動に関わり、会員の方々とお話させていただく中で、「これをもっと知りたいな」「これを伝えたいな」という思いが生まれてきました。それを「だより」という広報誌を通して、届けられたらと考えています。
廣瀬カウンセリングに関わる方々(カウンセラー、修了生、現役生)を様々な角度から知り、その人について理解すること
吃音理解に役立つ心理学の情報など、吃音についての新たな視点を共有すること
1つ目について。廣瀬カウンセリングには、年齢や職業が全く異なる方が集まっています。普通に生きていては出会うはずのない私たちが、吃音という症状を通じて出会えたことは、吃音改善という目標を超えた、大きな縁だと感じています。普段教室では、吃音についての話を中心にすることが多いですが、「そういえば、○○さんって、何が趣味なんだろう?」「○○さんって、今までどういう経験をされてきたんだろう?」など、知らないことが沢山あると思います。その人について様々な観点から知ることで、その人がどのような思いで吃音と向き合い、乗り越えてきたかを知り、吃音理解が深まることを願っています。
2つ目について。私は臨床心理士として学校・病院で勤務しており、吃音や発達障害、精神疾患を抱える方々とお話したり、勉強させていただく機会があります。その過程で、「この心理学の考えは、吃音改善にも共通するな。」など、自分の症状に置き換えて考えることも多々あります。廣瀬カウンセリングの基本姿勢。「吃音の除去・治療を目的とするのではなく、吃音がある自分を認め、受容すること」。その基本姿勢に私も共感して入会したと共に、その難しさと今も闘っています。自己受容とは何か。症状を認め受け入れることで、どうして症状が改善するのか。答えの一つになるか分かりませんが、吃音に悩む立場でもあり、支援する立場でもある私ならではの言葉を、この場を借りてお届けしたいと思います。
「だより」を通して、私自身も自分の特性や吃音理解を深め、公私ともに充実させると共に、皆さまと交流させていただければと思っています。至らない点も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
「ご挨拶と就職活動の話」 代表Aさん 20代男性 学生
廣瀬カウンセリングの皆さま。修了生のAです。今期から教室の代表を務めさせて頂くこととなりました。新たに副代表になられたHさんとKさん、そして修了生の方々と力を合わせて教室をより団結させて行きたいと思いますのでよろしくお願いします。
私事になりますが、3月から6月まで就職活動をしていました。自分でも納得のいく結果が得られ、ようやく肩の荷が下りたところですが、就職活動というのは自分が吃音について悩み始めて以来ずっと自分にのしかかっていた問題でした。
振り返れば中学生くらいのときから吃音の症状が悪化する度に「こんなんじゃ社会に出て働けない」という絶望感を感じていたと思います。言葉を話すなんて当たり前のことが出来ない自分なんか社会から評価されないだろうと本気で考えていましたし、だからこそ「就職活動」に向けて少しでも早く吃音を改善しないと!といつも焦っていました。
自分が吃音と向き合う上で最も高い壁だった就職活動ですが、その就職活動を通して自分の想像以上に企業から評価をしてもらえ、とても驚きました。廣瀬カウセリングでの変容が良い成果に繋がったことは言うまでもないですが、吃音の症状が良くなったことが結果に直結したわけではないと思います。実際、面接ではいつも以上にどもりましたし、なんでこんなにどもるかなぁとイライラしたこともありました。だからこそ、自分が変容によって最も変わったことは吃音の症状ではなかったんだ、ということに気が付くことが出来ました。
自分が最も変われたのは「自分の中の吃音以外のところに目を向けられるようになった」ことだと感じました。面接では、どもらずに話すことよりも自分の魅力を伝えようとう気持ちで臨めましたし、自分がどもる不安を抱えながらも挑戦した居酒屋のアルバイトや学会発表でのエピソードがとても活きました。
教室に通い始めるまでは毎日毎日吃音のことで頭がいっぱいで疲れていたのに、いつのまにか変わっていたんだなーとしみじみ感じました。そんな人がこれからもどんどんこの教室から出て来て欲しいですし、それが実現出来るようにこれからはここの代表として頑張っていこうと思います。
「これまでの私とこれからの私。」副代表K 20代男性 会社員
皆さま、お疲れ様です。早いもので今年も半分が過ぎてしまいました。歳を重ねると時間の流れの早さを日々痛感しております。1日1日を大切に過ごしていきたいものです。
さて、私は前期の48期で廣瀬カウンセリング教室の現役生を無事に修了させて頂きました。当日は修了パーティーの幹事も務めさせて頂き、修了生兼幹事という前代未聞のパターンとなってしまいました。これは狙って行ったものではなく、在籍期間が長いにも関わらず今まで廣瀬カウンセリング教室に貢献していなかったので、微力ながら貢献させて頂きたいと思い幹事に立候補しました。Kさんが色々と準備して下さり、また、前回幹事であったY君やMさんからアドバイスを頂いたり等々、皆さんにご協力頂いたおかげで無事に成功することができました。この場をお借りして改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
そして、私自身2011年の11月よりこちらでお世話になり、修了を要するまでに約4年半かかりました。その間に静岡県への転勤があり一時期通えないこともありましたが、修了することができて素直に良かったと思います。吃音の症状が変化していることを実感しておりますし、何より吃音に対する考え方が180度変わったことが私自身の中で起きた一番大きな変化でありました。教室に通う前の吃音に対する印象は最悪なものでした。吃ると笑われてしまい傷ついたこと、吃ることで周りの目を気にしすぎてしまうこと、就職活動のため吃音を克服しようとアルバイトでスーパーのレジ打ちに挑戦しましたが、急に吃りが悪化して無断欠席しそのまま退職してしまったこと、就職活動の面接で非常に苦労したこと等々、今思い出すだけでも恥ずかしいことばかりで、また、私が逃げ出してしまったことで私の周りの方々にも迷惑をかけてしまっており、吃音には大分苦しめられてきました。それにも関わらず、社会人に入社するまで本気で吃音を克服しようとしてこなかった自分の甘さや情けなさもありますが、廣瀬カウンセリング教室に出会い、吃音を受け入れている自分に変容できたことが昔の自分と比べると奇跡のように思います。今は亡き廣瀬先生、カウンセラーの皆さま、また、修了生・現役生の皆様に感謝申し上げます。
修了生になったと同時に、A新代表から副代表就任のオファーを頂きました。正直自分に副代表就任の話が来るなんて一切思っていなかったので驚きましたが、修了生という立場に立ち教室内での立ち位置も変わることをきっかけに、副代表をやらせて頂こうと決断しました。これまで教室の運営についてはあまり携わっていなかったので、A代表、H副代表と共に皆さんと連携を取りながら、廣瀬カウンセリング教室の発展に貢献していきたいと思います。
今後とも、よろしくお願い致します。
「修了に際し」 副代表H 30代女性 会社員
廣瀬カウンセリング教室には2014年4月から2年と少しお世話になっております。そして、前期をもって現役生を修了させていただきました。
吃音者に会うことや集まりに参加するのは廣瀬カウンセリングが初めてでした。今でもはっきり記憶していることのひとつが皆さん明るく会話を楽しんでいることです。吃音の持つイメージ、それは話すことが苦手、よって物静かな方が多く、決まった時間に集まり、カウンセリングを受け、それが終われば、皆さんすぐに退散されていくのだろうな、と勝手な想像をしていました。
ところが、教室が終わるとすぐに退散するどころか、皆さんの話が弾み言友会館からなかなか帰らない方ばかり。様々な世代の方々が交じり、様々な話題で本当に楽しそうにお話されていました。
これは、本当に驚きでした。
そして、次に思ったこと。私、こんな雰囲気に入っていくのは全く得意ではない。グループカウンセリングで、皆さんに馴染めないと効果が得られないのでは、とカウンセリングは受けてみたいものの、皆さんの輪に入っていけるか不安でした。
しかしながら、カウンセラーや修了生の方々は話かけて下さるし、親身になって話を聞いてくださるし、気が付くと全く違和感なく当たり前のように毎月言友会館に通うようになっていました。
カウンセリングで教えていただくことは、簡単に理解、実践できることばかりでなく、教室に通っても効果があるのか不安を感じることもありました。ただ、カウンセリング外で修了生の方に相談にのっていただき、理解を助けていただけたことは多くあります。また、修了生からご自身の経験を聞いたり、前向きな姿勢や会話を楽しんでいる光景を見て、私もそのレベルまで行けるのだ、と信じることができましたし、早くそこまで行きたいと強く感じました。
修了生から、どもることがそれほど気にならなくなる、と初めて聞いたとき、それが自分に起こるとは全く信じられませんでした。そして、今、これが現実になりました。
皆さんの暖かいサポートのおかげです。
この度、副代表を務めさせていただくことになりました。2年前に不安を持って教室に訪れたことを忘れず、どんな方でも安心して参加してもらえるような教室の運営を目指していきたいです。
2015年8月号 第46期
お墓参りの報告 40代男性会社員
去る 6/27 に有志にて廣瀬先生のお墓参りへ行って参りました。 廣瀬先生は 2014 年 4 月 21 日にお亡くなりになり、昨年もお墓参りに伺わせていた だきましたが、前回どうしても行けなかった方もおられたので、今年もお伺いする 事に致しました。 当日はあいにくの雨でしたが、先生奥様にも同行していただき一緒にお墓参りを行 いました。 お墓参りでは現在の教室の様子のご報告や、今後の教室の事について先生に相談や 報告をするつもりで心の中で話しかけてきました。お墓には、まるで先生がそこに いるような感覚を感じながら、教室の近況を十分報告ができたと思っています。 先生は現在の私たちの教室をどのように感じておられるのでしょうか? 褒めてくれるのでしょうか?厳しいお言葉を言いたいのでしょうか? 今後は答えは私達が判断する必要があるのでしょうね。 先生に頼るのは、そろそろ終わりにする時期なのでしょう。 先生は今後も私たちの事を見守ってくれると思います。 私達は「廣瀬カウンセリング」を継続しながら、変容の場を維持し続けることで、 先生が喜んでくれるのを楽しみにしながら活動を続けたいと思います。
その後先生奥様と参加者で場所を変え、先生の思い出話を長い時間お話する事がで きました。今回何よりも嬉しかった事は、お元気な先生奥様とお話する事が出来た ことだと思います。 お墓参りは今回で一区切りとするつもりですが、今後も先生に見守られている事を 感じながら教室を続けていきたいと思います。
尚、当日は函館教室の計らいで 3 教室参加の懇親会も企画して頂き、今後の教室間 の連携や各教室の課題などを聞く事が出来ました。教室の発展の為にも連携を継続 する考えです。
(お墓参り・懇親会参加人数) 先生奥様 函館教室:5 名 札幌教室:6 名
東京教室:4 名 計 16 名
20代女性会社員
私の吃音症状は、3 歳ごろから始まったと母から聞きました。小中高では、音読や 発表でうまく話せないことはあったけど、そこまで気にしていませんでした。専門 学校を卒業して社会人になり、電話対応、初対面の方と話すなど緊張する場面が増 えて自然と吃音を意識するようになり、どんどん症状がひどくなりました。
吃音を改善したいと思い、まず北里東大学病院の言語リハビリに通い始めました。 話し方や呼吸法などを教えてもらい、だいぶ症状も改善されたと思います。 しかし私は、もっと吃音改善を目指したくて廣瀬カウンセリングへの入会を決意し ました。 教室では、私がもっとも苦手とする本読みを行い、久しぶりにものすごく緊張した ことを思い出します。今でも本読みはとても緊張します。普段話す時は、話せてい るのになぜこんなに本読みが緊張するのかと、とても不思議でした。どもった時、 自分に何が起きているのか意識しながら生活をしていたら、「吃音がひどくなる= 恥ずかしい」という気持ちが心の中にあるということに気づきました。もちろん本 読みをする時に緊張や苦手意識はありますが、それ以外に恥ずかしいという気持ち に気づけたことは、私にとって大きな発見です。普段の生活で緊張していないのに、 どもってしまう場面があります。この時もどもってしまう自分を人に見られること が恥ずかしいという気持ちが心のどこかにあることが原因の1つかもしれません。 この恥ずかしいという気持ちが少しでも減らせたら、吃音改善に繋がるのではない かと、考えています。焦らずに自分のペースで減らせるように努力していきたいで す。
どもった時に自分に何が起きているのかと意識しながら生活をしていると少しず つですが、小さなことや大きなことに気づけてとても楽しいです。 今までは自分の吃音に向き合うことが嫌だと思っていましたが、廣瀬カウンセリン グのおかげで吃音に堂々と向き合い、そして自分の気持ちが前に向くことができて いると思います。これからも、日々の生活の中で色んな発見をしていきたいと思っ ています。
今は、やりたかった仕事を始めて毎日楽しいことや辛いことが色々ありますが、や りがいを感じながら働いています。最近では、ほんの少しですが仕事中でも自分の 心の状態を観察できるようになりました。 今度職場にて、緊張する場面での仕事が増えていくと思うので、さらに心を強化し て乗り越えていけるように教室に取り組んでいきたいと思っています。
これからも皆さんと一緒に頑張っていきたいと思うので、よろしくお願いします。
40代男性フリーランス
僕が初めて廣瀬カウンセリング教室に参加したのは今年の 1 月 17 日の復習会で した。元々僕には、三人以上で会話していると、場の空気が読めず、話の流れにつ いていけなくなり、黙り込んでしまうという傾向があります。このときもそういう 状態でしたが、話を振られたので、なんとか発言はしました。でもその内容は後か ら考えると、場の空気も文脈も無視した独りよがりのものだったように思います。 にもかかわらず、休憩中や、駅までの帰路で、何人かの方が話しかけてきてくれま した。おかげで孤立感を感じることもなく、同じ悩みを共有する仲間を得たという 喜びを感じ、しばらく通い続けようという気になりました。
その後、休まず通い続けるうちに、話の流れが少しずつ分かるようになり、自分 から発言することも増えてきました。ところが、休憩中や、駅までの帰路では、誰 とも話さず一人でいることが増え、孤立感を感じ始めていました。考えてみれば当 たり前です。僕は自分から積極的に人に話しかけるということをせず、誰かが話し かけてくれるのを待っているばかりだったです。
これではいけないと思い、なるべく自分から話しかけるように意識を切換えるこ とにしました。その結果少しずつですが孤立することは減ってきました。それでも いざ話しかけようとすると、どう話を切り出せば不自然でないか、どんなことを話 題にすれば相手は興味を持ってくれるか、などを必要以上に考えてしまい、話しか けるチャンスを逃してしまうことも度々あります。でもこれは経験によって改善さ れるでしょう。
やっかいなのはグループの中に入っていって話の輪に加わることです。特に駅ま での帰路では、すぐさま 2〜3 人のグル−プが形成され、僕だけが一人で歩いている ということが常態化しています。グル−プの中に自分から入っていくというのは、 かなり難易度が高いことに思えます。最大の理由は、何について話しているのかが、 外から見ているだけでは、ほとんど分からないことです。今のところ考えている作 戦は、グループが形成される前にすばやく誰かに話しかけて、自分がグループを作 ってしまうということです。すばやくというところが難しくて、まだ成功していま せんが、少しずつみんなと打ち解けていけば、案外簡単にできるようになる気もし ます。
ここまで書いたことはいずれも僕自身の性格と能力に起因する問題です。これら の問題の解決なしには、吃音の改善は難しいのかもしれません。
吃音の症状については今のところ全く改善はしてません。でも、自分が最も吃り やすいのは、頭の中で言葉を選び、文章を組立てながら、話すときであるというこ とがわかったこと。自分が吃っているときの体の状態に注意を向けることが少しで きるようになったこと。など、少しずつ進歩しているという実感があります。
今後は、自分が教室から何を得るか、だけではなく、自分が教室に何をもたらす ことができるか、ということもあまり負担にならない範囲で考えてやっていきたいと思っています。そうすることが結局は、自分の吃音の改善、人としての成長にも つながるのだと思います。
20代男性会社員
私が廣瀬カウンセリング教室に初めて参加したのは、2011 年 11 月 5 日でした。つ まり私がこちらにお世話になり、もうすぐ 4 年経とうとしております。途中で転勤 があり一時期通えないことがありましたが、現役生の中では一番長く廣瀬カウンセ リング教室に通っております。
私はこれまで嫌というほど吃音に苦しめられてきました。学生生活やアルバイト、 就職活動等数え上げたらキリがありません。「何で自分だけ吃るのか」、「吃らなけ れば自分の人生が変わったかもしれない」、「自分がダメなのだ」と思うことも数多 くあり、吃る自分が非常に嫌いでした。このようにたくさん嫌な経験をしてきまし たが、カウンセリング教室に通うまでの私は、恥ずかしながら吃音という言葉を知 りませんでした。客観的に振り返ってみると、当時の私は吃音に対して真摯に向き 合ってこなかったことが言えると思います。つまり嫌なことから逃げ出していまし た。その結果というわけではありませんが、社会人になってから名刺交換や電話対 応等、今までで一番吃音に苦しめられましたが、それと同時に初めて吃音改善につ いて本気で行動を起こすきっかけとなりました。
廣瀬カウンセリング教室に通い始めてから、吃音が嫌で嫌でしょうがなかった 4 年 前の自分では想像できないぐらい、いま現在の私は吃音である自分の存在を受け入 れております。 吃音が治ったわけでもなく、これまでと同様に吃ることが未だに多いですが、今ま であんなに苦しんでいたのに自分の気持ちの持ちようひとつで吃音の症状に変化が起こることを実感しました。
私は吃りで相手に笑われるのが嫌なので、吃音のことばかり気にしてしまい根拠の ない不安、つまり予期不安を勝手に作り出してしまっていました。私自身気弱なせ いもあり、なかなか吃音の考え方を変えることができませんでしたが、廣瀬先生の ある一言がきっかけで心情に変化が生まれました。それは、「吃音者の話は面白く ない。」という一言でした。 相手と話をしていても、吃音者は自分の吃りのことばかりを考えていて、相手の話 を聞いていなくコミュニケーションがとれていない。つまり相手のことを考えず、 心のキャッチボールができていないと教えて頂き、まさしく当時の自分はその通り であり、少なからず衝撃を受けました。
それからは、相手とコミュニケーションをとるという基本的なことを意識し、自分 ではなく相手のことを優先して考えるようになってからは、話をしているときに吃 りのことについて考えることが少なくなり、それに伴い予期不安を感じることも減 ってきました。 吃音についても嫌で嫌でしょうがなかったものから、これからもうまく吃音と付き 合っていこうとポジティブなものへと変わっています。 一番の変化として、私は両親や親しい友人にですら吃音について話すことに恥ずか しいからか拒絶反応を起こしていましたが、いまでは自ら自分の吃音について話す ことができています。 これからも廣瀬カウンセリング教室で多くのことを学び、自ら気づき、吃音とうま く付き合っていきたいと思います。
2015年4月号 第46期
だより編集者からの挨拶
廣瀬カウンセリングの皆さま、いつもお世話になっております。現役生のAです。この度、だより編集者を前任のNさんから引き継ぎまして私が担当させて頂くこととなり ましたので、よろしくお願いします。
私が廣瀬カウンセリングに入ってから早くも 2 年が経とうとしております。その間、諸 先輩方が卒業されて私も現役生の中では古参となってしまいました。そんな中で自分も廣 瀬カウンセリングの仕事を担える立場となり嬉しく思います。私の近況としましては、大学を無事卒業しまして、この春から大学院に入学しました。2 月中は卒業研究に追われて いたため、春休みはその反動で遊び呆けていたら入学手続きの〆切を危うく逃しかけると いう失態を演じ、今月に入ってからはフットサルサークルの部長を引継ぎ、後輩が研究室 に配属されてきたことで研究室での立場も変わり、めまぐるしい毎日を送っております。
吃音に関しては、大学でもバイトでも人前で話さなければいけない場面が増えてきています。自分も 1 年後には就職活動に追われる身となることを考えると、もっと自分の吃音を改善したいと感じています。この廣瀬カウンセリングを通じて、前向きに自信をもって 自分を表現できる人間になっていこうと思います。
近頃はすっかり暖かくなり桜も咲き始め、出会いと別れの季節となりました。新年度を迎え、就職をしていった大学の友達や、卒業された先輩と別れることは寂しいことでした。 しかし、その人達と出会い、共に楽しい時間を過ごし、自分とは違う価値観に触れること が出来ました。人が変化、成長していく上で人との出会いは、とても大きな影響力を持っ ていると思います。この廣瀬カウンセリングとの出会いも自分を大きく変えてくれるもの だと信じ、これからまた気持ちを新たに取り組んでいこうと思います。
(Aさんは現在は卒業され修了生として教室に関わっていらっしゃいます。)
現役生Wさん
早いもので、教室に通い始めてから半年が経ちました。まだまだ、教室でやっているこ
とを理解できているとは言い難いのですが、教室に通い始めて変わってきたこともありま
す。それは、どもりそうな不安を感じたとき、不安に支配されてパニックになることが減
ってきたということです。
教室に通い始めた当時、私はアルバイト先であいさつの言葉が出にくく、そのことで毎
日が不安でいっぱいでした。あいさつの場面が近づいてくるたび、不安に支配され、頭と
身体がパニックになってしまうのです。そして、その状況への対処の仕方も分からず、ア
ルバイトの時間以外にも「あいさつの言葉が出てくるかどうか」という不安ばかりが、ひ
たすら頭をよぎるようになりました。
教室に通い始めると間もなく、私の中で変化が起こりました。あいさつの場面でパニック
になることが減ってきたのです。
そのような変化が起こったのはやはり、どもったときの状態を「感じる」ということを
意識し始めたことが大きかったと思います。感じることを意識し始めると、自分を一歩引
いた状態から見られるような感覚がありました。その結果、不安に飲み込まれてパニック
になることが減ってきたのです。
また、「吃音者にはどもらずに話せる能力はある」という言葉に出会ったことも、不安に
支配されなくなったきっかけの1つだったと思います。私はその言葉を聞いたとき、ども
らずに話せているときでも、どもらないようにすることばかりに意識が向いている自分に
気がつきました。そして、どもりそうな不安に反応して、どもらないために様々な工夫を
することは、さらに緊張を高め、逆に自らをどもりやすい方向に導いているかもしれない
とも考えるようになりました。そう自分なりに解釈した時、どもらないために必死に工夫
して話す必要はないんだと思えて、不安が減ったのを覚えています。
教室に通い始めて、少しずつ日々の不安が解消されている気がしています。最近では、
アルバイト先の方からも、最初はつまらなそうに見えたけど、最近は楽しそうに見えると
言われるようにもなりました。やはり、パニックになってしまうほどの不安を抱えていた
自分は、周りにも緊張感を与えていたのでしょう。教室に通い始めてから、人と自然に関
われることも増えたと思います。まだまだ吃音のことで一喜一憂してしまうことも多いの
ですが、これからも教室に参加して、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。
一年経って 現役生Kさん
私は去年の 3 月に教室を見学し、翌 4 月から正式に参加しています。参加した当時のこ
とや、今思っていることなどを書いてみます。
私が教室に参加するようになったきっかけは、去年の 1 月の終わりにあります。この頃
を境に急激に吃音症状が悪化してしまい、会社の上司の名前を呼べなくなるなど、様々な
支障を来すようになってしまいました。当時は、周りに人がいないのを見計らってはひた
すら名前を呼ぶ練習などをしていましたが、ほとんど効果はありませんでした。
そのため、救いを求めて東京言友会の活動に参加し始めました。一通り見て回った結果、
この教室が自分には合っているだろうと思い、参加することに決めました。
ただ、刺激域の説明が自分には当てはまらない点など、自分のようなタイプは対象外であ
り、改善の見込みはないのではないかと不安に思うことはありました。私は、雑談であれ
ばそれなりにどもりますが、音読や電話など、単なる対人関係に刺激が少しでも加われば、
症状が相当悪化しない限り、気にする必要のない程度にしかどもりません。それでも今は
改善を実感しているので、参加し続けて良かったと思います。
教室を見学したときに、「親しい人と話していると、楽しくて吃音のことなど忘れてしま
う」といったことをKさんが当然のことのように話したのを、今でも覚えています。
そう言われたところで、私にはそのような経験が一切なかったので全く理解できませんで
した。親しい友人と何時間も話し込んでいる時であっても、吃音の恐怖から解放されるこ
となどありませんでした。現在の第一の目標は、吃音のことなど忘れてしまうくらい会話
を楽しむことです。未だに達成できていませんが、以前と比較したら吃音のことを考えて
いないので、達成しつつあります。
症状が悪化した当時は辛くて仕方ありませんでしたが、結果的に改善に目覚める契機と
なりました。そのため、今となっては悪化して良かったと思います。それ以前にも、言い
たいことを言えなかったり、「話し方がおかしい」とちょくちょく言われたりして辛さを感
じていました。でも、自分だけで何とかしようとしたり、半ば改善を諦めていたりして、
誰にも相談などをしませんでした。
自分は吃音に苦しめられていたのではなく、助けを求めない自分に苦しめられていたよ
うに思います。この教室を知った今振り返ってみると、そう思います。いろいろなことに
気付かされた一年でした。
2015年1月号 第46期
「廣瀬カウンセリング教室との出会いと気づき」
東京教室 Mさん
私が廣瀬カウンセリング教室にお世話になってから9ヶ月ほどが経ちました。春夏秋冬を過ごした事を書こうと思います。
私の吃音症状は小学校1年生から出始めたと記憶しています。原因は字を書く事を左利きから右利きに変えられた事だと思っています。自然の流れに逆らってはいけないのですね。
今も昔も「はい、Mくん答えて下さい。」と当てられると話せなくなってしまいます。雑談の場ではスラスラ話せるのに…。
ある時、職場の朝礼で私が6人くらいを前に引き継ぎで話しをする場面がありました。10分かからない内容を吃ってしまい、倍の20分かかってしまった事がありました。引き継ぎ後に上司に「時間がかかってしまいすみませんでした。」と謝りました。そしたら上司からは「気にしてないから大丈夫、大事なのは内容だからね。自分に自信を持って。」というありがたい言葉を頂きました。そして後日、その上司からこちらの案内を頂きました。私は二つ返事で通う事を決めました。
教室に通い始めてからは、教室の方々を見ていて「自分を見てるようだ。」と不思議な感覚になりました。そして嫌いな本読みがありました…。ですが、驚きもありました。現役生、OBの方々は年齢、職業、吃音のタイプがバラバラ、中でも「本読みが得意」という方もいるではありませんか。この事が1番ビックリしました。
そして春から通い始めて夏になりました。すると「あれ?前より吃音が悪化してるぞ。」と感じました。それからどんどん悪化していきました。「もうダメなのかな?」と思う反面「せっかくこの教室と出会えたのでもう少し通おう、通っていれば良くなるかな?」と思い、通い続けていました。
数ヶ月経ったある時、自分でも原因が分かりませんが気持ちが楽になった時がありました。その時くらいから「どうして自分は吃ってしまうのか?」が分かり始めました。自分にとっての「気づき」だと思います。「あせってしまう」という「気づき」です。
私は「言おう、言おうとすると吃ってしまう。」「読まなきゃ読まなきゃと思うとあせって吃ってしまう。」ということに気づかされました。
最後になりますが、これからも教室に通い続ける事によって様々な「気づき」に出会うと思います。一つ一つ気づいていければと思います。また「色々な事を感じながら、気づきながら」教室に通い続けたいと思っていますのでこれからもよろしくお願いします。
東京教室 Hさん
2014 年は私にとって色々な意味で大きな節目となる年でした。廣瀬カウンセリング教室 に参加を始めたことは、気持ちの持ちようを大きく変化させて下さいました。カウンセラ ーの皆様、修了生の皆様、現役生の皆様には本当に感謝しております。
吃音を持つ自分を変えたいとずっと考えてはいましたが、どうにもならないものだと諦 めていました。それが今年何か自分を変えたいと強く感じ、4月の教室見学から始めさせ ていただいております。
それまで吃音について誰にも相談したことがなく、ずっと自分の心の中に閉じ込めてい ました。どもる自分は闇の中に消し去りたい思いでいっぱいでした。吃音改善の行動を起 こすこと自体、自分の吃音を認めることになりますから、“どもる”という言葉でネットを 検索する事さえ許せない行為でブラウザの履歴を削除することまでしていました。それが、 教室で自分が吃音者であることを話せたことや同じ悩みを持つ皆さんのお話を聞くことが できたことで本当に楽になりました。後悔することはあまり好きではありませんが、もっ と早く行動していたらもっと早くに楽になれていたかもしれないという後悔があることは 否定できません。
教室で教えていただいたことのひとつで心がけるようになったことは、自分の中で何が 起きているか、何が起きたのか観察することでした。どもったとき、身体的に起きたこと を捉えることは日常生活ではなかなか難しいのですが、その時どんな心境であったかその 後に考えることが出来るようになりました。これを繰り返すことにより、どもったとき以 外でも不安を感じたときに不安がどうして起きたのか、何が自分にとって問題なのかを少 しずつ整理して考えられるようになりました。ひとつひとつ心の中を整理してみると不安 や問題の原因は思ったほど大したことではないことに気付きます。不安な気持ちはかき消 したい、イヤだから無かったことにしよう、とネガティブな部分にいっさい目を向けず自 分を客観的に見られないことがここ数年悩まされているストレスの原因にもなっていたよ うな気がします。
自分を見つめることが出来るようになって、出来ない自分を受け入れることが出来るよ うになりました。以前は、ある目標に対し出来ないとダメ、出来ない自分はゼロの価値、 出来て当たり前という考えのもと、自分にかなり高いハードルを課していたようです。そ れが最近では、目標に対し100点を取れる人はそうはいないはず、70点取れれば上出 来、だから70点できたらそれが自分にとって100点満点なんだ、とハードルを下げる ことが出来るようになりました。これは以前であれば自分のポリシーに反し、全く許せな いことでした。ハードルを下げさらに、30パーセント出来なかった自分を責めるのでは なく、70パーセント出来た自分を誉めてあげようと考えるようになりました。
そうは言っても、出来なかったことでの不満や不安を消し去ることはできず引きずって
しまうこともまだまだあります。ただ、このような考えを持てたことは本当に驚きでしか ありません。
出来ない自分がいて当たり前なので、どもったって別に大したことない、と考えられれ ば良いのでしょうが、吃音となるとまだその域には達していません。まだまだ不安や恐れ は付きまといますし冷静になれません。不安や恐れとどう付き合えば良いのか、どう対処 すべきか、付き合うのと対処するのとどちらが適切なのかも分かりません。しかしながら、 教室に通い皆さんからアドバイスをいただいたり、意見交換することで、少しずつ心の中 の雲のすきまから明るい日が差し始めているように感じられています。
廣瀬カウンセリング教室の皆様、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
東京教室 Tさん
廣瀬カウンセリングに入会してから、早くも8ヶ月が経ちました。8年ほど前に初めて言友会に参加し、その後は吃音者のサポートをする団体に参加し、吃音の悩みを共有できる友達も出来ましたが、私の症状は変わらず、毎日の会社での電話対応の緊張はもちろん、休日に友人と過ごす時間でさえも、言いたいことが言えない不完全燃焼の気持ちが募っていました。
入会してからは、「自分は吃音があるのだから、今はうまくしゃべれなくて当たり前」と思い、少しずつ吃音の自分を認められるようになっているのですが、症状は依然変わらず、しかも最近は今までそれほど言いにくくはなかった言葉が言いづらくなってしまい、卒業するには時間がかかると覚悟はしているけれど、私は果たして吃音の悩みから解放される自分になることが出来るのだろうかと、今はまだ不安感もあります。
教室で習っているように、物事を色々な角度から見て、感じて、そしてそれを言葉にすることを身に付ければ、吃音だけではなく、人生そのものを豊かに、柔軟に過ごすことが出来るのでないかと思います。卒業生の方と接したり、書かれているブログを読ませて頂くと、「神様みたいな人!」と思えるほど、周りの人に思いやりを持っていて、自分のどこがいけなかったのかをきちんと把握されています。私は、この頑固な石頭で、ついつい分析して、あること無いことを考えて、堂々巡りをしてしまっています。一度死んで、言いにくいと思っている言葉の記憶を失くしたい!(今思うと、そうさせているのは、自分の脳だと分かっていたのですね)、吃音がなくなってから、私の本当の人生が始まる!などと高校生くらいまで本気で思っていました。そんな進歩のない月日が経ち、人生の折り返し地点に来てしまったので、残りの人生の半分は、自分を受け入れ、前向きに楽しく生きていけたらいいなと思います。こんな私ですが、今後ともご指導をどうぞよろしくお願いいたします。
2014年4月号 第44期
廣瀬カウンセリングとの出会いと変容
東京教室 Aさん
私が大学3年生になって間もない頃に廣瀬カウンセリングの門を叩いてから、10ヶ月が経ちました。教室には1ヶ月に2回、ほぼ欠かさずに出席することができています。廣瀬カウンセリングに通い始めてからは、わずか10ヶ月のうちに起こったこととは思えないほどの様々な出来事、変化があり少しずつ吃音の克服に向かえていると思います。そんな教室に通い始めてからの私の変化について書いていこうと思います。
私の吃音の症状はもともと難発が強く、話せる場と話せない場の差がかなりありました。話しにくさを感じる場面でどうにかうまく話そうと工夫を凝らし疲れ果ててしまう毎日にほとほと嫌気が差し、自分の吃音を良くするために何も出来ないことがとてももどかしく、情けなく感じていました。そんな状況の偶然、廣瀬先生の著書に出会い廣瀬カウンセリングの存在を知りました。廣瀬先生の本に書かれていたことは、今まで自分が出会った吃音に対する考察の中でもっとも納得のいくもので、すぐに廣瀬カウンセリングに興味を持ちました。当時は自分の吃音について誰かと話し合うことにさえ抵抗を感じていたのですが、吃音を克服するために何か行動を起こしたいと思い教室に通うことを決めました。
教室に通い始めて半年ほどは、教室の方針を理解し吃音の反応と内臓感覚的刺激を感じることに苦労しましたが、自分の吃音を克服するために行動を起こせていることが嬉しく、そのことが自信に繋がっていきました。教室での話し合いは難しく感じることが多いのですが、吃音について人と思い切り議論をしているうちに、徐々にどもりを人に見せることへの抵抗がなくなり、自分自身が吃音について気楽に考えられるようになりました。ここ1,2ヵ月は如実に自分の変化を感じることや人に変化を感じてもらえることが増え、楽しく吃音の克服に向かえていると思います。最近では吃音に向けていたエネルギーが減った分、色々な方向にエネルギーが向き、吃音のためにずっとためらっていたバイトも始めることができました。居酒屋でのバイトなのでばりばりの接客業ですが接客業のバイトに憧れていたので、こうして働けていることがとても嬉しいです。バイトを始めてからは話すことに自信がつき、経験を積むことの大切さをひしひしと感じています。これからも吃音に振り回されない本来の自分を取り戻すために教室での話し合いを含め様々な経験を積んでいこうと思います。
カウンセラーとして
東京教室 カウンセラー Dさん
初めてサブカウンセラー役を廣瀬先生から任されたのは、一昨年の2012年10月だったと思います。
それから約一年半位になると思いますが、現在もサブカウンセラー、カウンセラー役を継続して任せて頂いてます。
最初の3ヶ月はNさんとペアを組んで、私がAクラス、NさんがBクラスという分担でやっていました。
教室の前にNさんと巣鴨駅近くのカフェで一時間くらいカウンセリングの打ち合わせをしたことを思い出します。
今思うとその頃は、Nさんと一緒という連帯感や安心感もあり、またサブカウンセラーをやることにまだ新鮮さもあり、やる気が漲っていました。
その3ヶ月が終了し、私は引き続きサブカウンセラーをすることになったのですが、この頃から自分との戦いになっていった気がします。
このような事を書いていいのかわかりませんが、サブカウンセラーをやることがだんだん辛くなったのです。
毎回思うように行かないというのが一番の原因なのですが、自分の不甲斐なさに毎回打ちのめされていました。
正直、巣鴨駅までの電車の中で「もう帰りたいなぁ」などと考えることが何度もありました。
教室の週は月曜日からすでに重圧を感じていました。
でも、現在進行形で吃音に苦しんでいる人というのは、この苦しさの比ではないのだと思います。
私はただこの自分自身に対する苦しみに耐える以外にはないということを感じていました。
これに耐えることができなければ、多分人の苦しみというのものわからないだろうと思ったのです。
そう思いながら続けていました。
ただ、今思えば、辛かった時期は何もかも自分ひとりでやっている気がして、勝手に重圧や孤独感を感じてましたが、
廣瀬先生、Kさん、Tさんと他のカウンセラーの助言をいただいたり、見守っていただいていましたし、
代表のMさんや、教室を支える大勢の方々に間接的にも直接的にもすごく助けられていたのだなぁと思います。
多くの人に支えられてやってこれたのだと、それに気がつくことができるようになったのはここ最近です。
私は今たまたま役割としてのカウンセラーなのであって、今廣瀬カウンセリング教室でカウンセリングができるということは、
教室に関わるいろんな人の強い思いが根底にあってのことだということを肝に銘じて、この役割に取り組んでいこうと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。
小林秀雄と中原中也
編集者N
テキストでおなじみ「美を求める心」の著者・小林秀雄という人を詳しく知ろうとすると、
「汚れっちまった悲しみに」で知られる詩人・中原中也の存在が浮かび上がってきます。
1902年(明治35年)生まれの小林秀雄は、1925年(大正14年)に女優の長谷川泰子という女性と同棲を開始します。
実はこの女性は、小林秀雄と同棲する前に中原中也と同棲していたのです。
元々、京都で中原中也と同棲していた長谷川泰子は、中原の恋人として東京帝国大学の学生だった小林秀雄と知り合うのですが、それから東京に移り住んでまもなくして一緒に上京してきた中原と別れ、小林秀雄と同棲を始めました。
しかし小林秀雄と長谷川泰子の関係は、2年半程で終わりを告げます。
この一連の出来事で小林秀雄と中原中也の関係に亀裂が入りますが、後にそれぞれ別の女性と結婚し、小林夫婦が中原夫婦の家を訪れたりと、交流は続いておりました。
中原中也は30歳で夭折しますが、死の直前に詩を託された小林秀雄が彼を詩人として世に出すことになるのです。
ところで小林秀雄と別れた後の長谷川泰子の人生を調べてみると、2年もたたない内に酒場で知り合った演出家の山川幸世の子供を出産し、その数年後に別の実業家と結婚しています。
これらを読むと実際にはいろいろな事情があったのかもしれませんが、小林秀雄と中原中也は奔放な女性に振り回されてしまった、という印象をどうしても抱いてしまいます・・・。
後に小林秀雄はこの時の事を著作の中で『奇怪な三角関係』と振り返っております。
※小林秀雄著・『作家の顔』内「中原中也の思い出」、朝日新聞.com『中原中也と長谷川泰子』(http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200708030341.html)、ウィキペディアを参考にしました。